こんにちは。
喜満満猫です。
いつも訪れていただき、本当にありがとうございます。
【城崎の花火①】から続きます。
なぜわたしが手術をしなくてはならなくなったのか、お話したいと思います。
運命の日~スケート教室
手術からさかのぼること、さらに3年。
喜満満猫は、1年に1日だけ、ほぼボランティアで、子どもたちにフィギュアスケートを教えていました。
自治体主催で、バスに乗って約30人ほどの子どもたちと、隣の県のスケートリンクに行くのです。
大学生のときに、クラブの練習のかたわらスケート場主催のスケート教室のお手伝いをしていましたので、子どもたちがよちよちとかわいく滑っているのが大好きでした。
スケートを教えることができる人がめったにいないことから、自治体の方からオファーしていただきました。
ずいぶんとブランクがありますが、初心者向けですから、何とかなりました。
1年に1度のこの日をとても楽しみにしてくれて、毎年来てくれる子たちもいて、先生〜先生〜としがみついてくる。
跳んで!回って!滑って!と注文も多いですが(笑)
30人の子どもたちのタックルを受け止め、かわしながら、1日のスケート教室は終わり、帰路につきました。
運命の交通事故
例年は子どもたちと一緒に、送迎のバスに同乗するのですが、そのころ腰痛があったため、その年に限って自分の車で行っていたのでした。
突然、全身が雷に打たれたようになりました。
足のつま先まで、電気が流れたようにビリビリっと。
信号待ちの交差点で停まっていたときでした。
バックミラーを見ると、わたしの車に追突した車が見えました。
全身に力が入らず、クラクラして気持ちが悪くて、救急車で運ばれました。
首にカラーを装着され、動いてはいけないとの指示で、『どうしよう、めっちゃ大変なことになっちゃってる……』と気持ちはおろおろ。
でも救急隊の方も病院も、大丈夫だけど念のために用心して対応してくれているのだと思っていました。
運命の宣告
診察室に入ると、さらに驚くべきことを告げられます。
むち打ちなどの判断のために頸椎のCTスキャンを撮ったのですが、画像を見ながら『難病ですね。』とひとこと。
一緒に聞いてた主人もわたしも、予想外の言葉にきょとんとするしかなく、そのとき告げられた病名もひらがなで流れていきました。『こうじゅうじんたいこっかしょう』??
今まで何の不自由も感じていなかった日常が、一瞬で変わった瞬間でした。
わたしの難病
乗り出して、画像を見ると、背骨に沿って白く映った筋状のものが見えました。
『ご家族の方にお話が……』とかドラマではあるのに、すらっと本人に言われたことにも驚きを隠せませんでした。
『立派な国指定の難病ですよ。』と、先生は続けます。立派ってなんやねんとつっこみたくなりました。
この病気は、スポーツ選手の方によくあるらしく、星野仙一さんや、現役の野球選手の方もいるそうです。
ですが、原因や治療法がわからず、対処療法で手術や痛み止めなどで対応するらしいです。
今回の事故で、この頸椎の靭帯が骨化している部分を押しているかもしれない、そのために手にしびれや感覚麻痺が出ているのだと言われました。
一時的かもしれないし、様子を見なくてはわからないということでした。
現状を認識する間もなく、喜満満猫に首輪がつけられました。
野生化している喜満満猫は、嫌だ嫌だするので、主人に注意され、しゅんとなっておりました。
このときにはまだわかっていなかったのです。
このあとリハビリと通院の長い長い日々が続いていきます。
【城崎の花火③】に続きます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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