喜満満猫の癒される暮らし

難病とともに、今できることに感謝してパワフルに生きる己書家【喜満満猫】のブログ

【城崎の花火《20》】父の主治医との対決

こんにちは。

喜満満猫です。

いつも訪れていただき、本当にありがとうございます。

【城崎の花火《19》】から続きます。

 

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走り去った父の主治医

実は、城崎温泉に行くまでに、まだひと波乱あったのです。

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父のシャント手術後、失敗していたことを知らないまま、わたしは病院から家に戻りました。

そのあとに、病室に主治医の先生がいらっしゃって、あらためて説明があったとのことでした。

父と、付き添う母に、専門用語を並べて、うまくいかなかったことの経緯を説明されました。

ですので、まったくちんぷんかんぷんだったそうです。

それを聞いたわたしは、翌日、己書の幸座の予定をキャンセルして、直接主治医の先生からお話を聞きたいと思い、病院に向かいました。

まず、ナースステーションに立ち寄りますと、主治医の先生がパソコンに向かっていらっしゃるのが見えました。

父の名前と、先生にお話を聞きたい旨を、窓口にみえた看護師さんに伝えました。

すると、驚くべきことに。

主治医の先生は、すっと立ち上がって、目も合わせず、猛ダッシュで走っていってしまわれました。

すぐ近くで話したわたしの声は、聞こえていたはずなのに。

パソコンの画面はそのまんま。

すごい勢いで、走り去りました。

呆然と立ちすくむわたし。

走り去った先生が消えた先を見つめていました。

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看護師長さんのフォロー

その様子を見ていた看護師長さんが焦って、わたしに、病室でお待ちくださいとおっしゃいました。

父は、病室に入ったわたしを見るなり、

『先生、ナースステーションにみえただろう?

お前が話を聞きに来ることをお願いしておいたんだが。』

朝一番でわたしが来ることと、お話をしていただけるように先生にお願いしてあったと言うから驚きです。

あまりの対応に、怒りがふつふつとわいてきました。

失敗することはあっても仕方ないけど、説明を聞きにきた家族から、逃げるなんてありえない。

そのとき、看護師長さんが病室にみえて、先生はしばらく戻られないことを伝えました。

でも、わたしは、

『お待ちしますので、お手が空きしだい、数分でいいのでお時間いただけますか』

と申し上げました。

『お昼を過ぎても、戻られるかどうか…』

とても困ったお顔をされた看護師長さん。

べつにわたしは、失敗を怒りにきたわけではないのです。

人工透析をするためのシャント手術ができないままでは、父の命が尽きてしまう。

では次にどうしたらいいか、という相談も含めてお話したいので、と申し上げました。

すると、看護師長さんはうなずき、少しのあいだ戻っていかれて、主治医の先生と一緒に病室に来てくださいました。

 

主治医の先生と対決

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戻られた主治医の先生に、

『お忙しいのにお時間いただき、申し訳ありません。』

とまずは笑顔で申し上げました。

『手術の説明は、昨日ご本人に説明したはずですが』

と、むすっとしたままおっしゃいました。

『父や母ではわからなかったようですので、すみませんがもう一度お話しいただけませんか?』

とお願いしました。

看護師長さんは、はらはらしながら様子を見ていらっしゃいました。

主治医の先生は、憮然とした表情を隠すことなく、専門用語を並べ始めました。

わたしも負けじと専門用語で対抗しました。

『知識は財産』とはよく言ったものです。

お相撲さんの舞の海さんの《技のデパート》ならぬ、《病気のデパート》のような父を持ったおかげでしょう。

医学の方にも少しは明るくなっていました。

結局はまとめると、

父の血管が動脈硬化でぼろぼろすぎた。

どれだけつなごうとしても、切れ切れになってしまってできなかった。

手首の近くの血管はもう使えなくて無理だから、ひじの上の血管で再手術するしかない。

ということでした。

父の血管が悪いから、無理だ。

隣県の血管外科を紹介するから、そっちへ行ってください。

といった内容のことを言われました。

『血管のエコー検査で、ある程度予測できていたことなのに、手に負えないとわかった時点でやめる判断はなかったのですか?』

と言いました。

『…なかったですね。』

もう、話は終わりました。

『わかりました。ありがとうございました。』

とわたしが言うと、さっと帰っていかれました。

父も母も怒り心頭でした。

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しかし、退院してそのあと紹介していただいた隣県の血管外科の病院で、無事に1時間ほどで、日帰り手術でシャントを作っていただいたのでした。

そして、人工透析を専門にしている病院が、家から車で10分ほどのところにあるのを知り、紹介状をいただき、転院しました。

こうして、準備は整いました。

ほんとうに良かったです!

父の命がまだまだ続きます!

 

このことから学んだこと

🌻権力や立場が弱くても、知る権利はある。

🌻何も意味がないできごとは起こってこないので、ものごとのいい面を探す。

🌻『知識は財産』自分の頭を鍛え上げよう。

🌻機会がなくとも、自分で作ろう。

🌻あきらめない!

【城崎の花火《21》】に続きます。

 

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最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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