こんにちは。
喜満満猫です。
いつも訪れていただき、本当にありがとうございます。
【城崎の花火②】から続きます。
リハビリと通院の長い長い日々が続きました
100対0の事故のため、相手さまの保険会社さんとも直接交渉になり、神経をすり減らす毎日でした。
手のしびれと脱力感は変わらず、箸を持っても落としてしまったり、つかめなかったりしました。
料理をしていても、混ぜたりするのも、揚げ物を揚げたりするのも、食材を持つのも辛くなっていました。
足の力も入らないときがあり、歩いていて膝がガクッとなることも。
階段も手すりを持ちながら利用していました。
買い物は、主人や子どもたちがいつも同行して手伝ってくれました。
ひとりで行かなくてはならない時は、お店の方に運ぶのを手伝ってもらったりしました。
辛い中での光明
ですが、身体が辛いときには、なぜか楽しいこと、うれしいことが起こってくるもので、家族や友だち、周りの人たちの温かさ、ご縁が多く訪れた気がします。
なぜだか、このころの記憶は暗い絶望感よりも、あたたかいものになっているのです。
していただいてありがとうの機会が多ければ多いほど、当たり前ではない日常に感謝できるようになったからかもしれません。
このできごとから学んだこと
🌻いつ何が起こってくるかわからない。今を一生懸命に生きる。
🌻できることとできないことが人にはある。できることを自分なりにこなしていけばいい。
🌻意地を張らずに助けてほしいときには頼ることを覚える。
🌻当たり前など何もない。すべてのことに感謝する。
🌻心の持ち方ひとつで幸せになれる。
このあと、1年ほどリハビリを続けますが、まったく良くなる気配がありません。
それどころか、どんどん力が入らなくなり、握力も少なくなっていきました。
主治医の先生から、ちらほら手術の話が出てきました。
でも、やはり様子を見ましょうという結論になるのです。
そうしてさらに様子見を数ヶ月続いたあと、わたしにとって大きな転機がやって来ます。
大きな転機①
2017年4月。
あの交通事故から1年半たっていました。
手に力が入らなくなっていたわたしを心配してくれていた親友が、
『己書って知ってる?一緒に体験しに行かない?』
と誘ってくれました。
字を書くことで癒されることを知っていたのか、もしかするとたまたまタイミングで誘われたのか、わからないのですが。
彼女も初めてで、己書がどんなものか二人とも興味津々でした。
そしてこの体験レッスンが、私たち二人ともの生き方を変えていきます。
大きな転機②
2018年5月。
己書と出会って1年後。
主治医の先生が出世して、病院の経営陣になったため、診察をしなくなり、私たち患者を若い先生に引き継いだのです。
さすがに、いきなりの決定だったのか、何の連絡もなく、予約していた時間に行ったら他の先生になっていたという状況でした。
正直なところ、一瞬腹が立ちました。すっと怒りが収まり、
わたしは、ふと、この状況だから、他県の脊椎専門医の先生を探して、転院しようと思いました。
なぜだかそう思ったのです。
見えない流れがそうさせてくれたのかもしれません。
【城崎の花火④】に続きます。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。