こんにちは。
喜満満猫です。
いつも訪れていただき、本当にありがとうございます。
【城崎の花火《32》】から続きます。
途切れ途切れの記憶
正直、ここまで来て、突然書くことが難しくなりました。
あまりにも、自分に起こってきたことが大変な状況だったためか。
その当時の記憶が、ところどころ抜け落ちているのです。
いよいよ手術が今日、という朝から
やっと歩けることになった時期まで。
手術後、ずっと泊まりこんで付き添っていてくれた主人に、どんな状況だったのか、聞かなくてはなりません。
とにかく、わたしの途切れ途切れの記憶と、すり合わせることが必要でした。
お見舞いに来てくれたときのことを、父や母にも聞いてみました。
あらためて聞いてみると驚くことばかり。
主人は『ほんとうに、よく耐えてがんばったなと思うよ。』
と言ってくれました。
記憶の不思議
ひとの記憶はすごいシステムだと思います。
出産の痛みも、悲鳴をあげるほどすごいものですが、そのときの激痛は赤ちゃんの顔を見た途端、忘れてしまいました。
つらくてつらくて、毎日がいばらの道だったとしても、時間が解決してくれるときもあります。
日に日に、薄く柔らかく、記憶にベールがかかっていきます。
いっときの感情で、無謀で、なげやりな気持ちにならない方がいいと思うのです。
時が、つらい記憶を、柔らかく優しく包んでくれます。
密度の濃い生き方
思いかえせば、困難や大変なことが多かった、わたしの半生。
ですがわたしは、『密度の濃い生き方をしたい』と、小さい頃から、ずっと思って生きてきました。
困難だけではなく、それ以上に素晴らしいこと、楽しいことが、はるかに多く訪れてくれました。
老いも若きも、富めるひとも貧しいひとも、どんなひとにも平等にあるもの。
それは、『時間』。
1日24時間。
1年365日。
みんなに平等に与えられています。
この『時間』をどう使うか、どう生きるかは、そのひとそのひとの自由です。
その、本来の『自由な生き方』を、しがらみを抱えて、自分の思い通りに生きていないひとが多いのかもしれません。
同じ『時間』なら、終わりを迎えるその日まで、多くのやりたいこと、挑戦したいことを精いっぱいやりたいと思うのです。
『やらず後悔』よりやる!
ですから、わたしは、やりもしないうちからああでもないこうでもないと理由を並べて、『やらず後悔』になるのは嫌です。
できるだけのことをしたい。
その気持ちから、多くの資格を取り、多くの経験をさせていただきました。
この考え方に、後悔はありません。
たとえ、そんな生き方が難病を招いたのだとしても。
ひととのご縁は宝物
実は、なぜか喜満満猫。
立候補するわけではないのに、頼まれて断りきれずに引き受けたお役目も多くあります(笑)
中学生のときには生徒会長。
大人になってからは、地域の役員、婦人会会長、子どもの幼稚園のPTA会長、小学校の母親代表、郡市PTA連合会の副母親代表、高校のPTA書記などなど。
考えてみるとそのときは大変で、うわあ…どうしようと悩んでいましたが、その結果、多くのひととのご縁をいただきました。
誰にも奪われることのない財産
『ひととのご縁』は、誰にも盗まれることのない財産です。
『自分で得た知識』も、また、盗まれることのない財産です。
『すべての出来事に、無駄なものはない』
そう信じています。
苦しい経験も、悲しい経験も、嫌な出来事も。
そして、この難病も。この手術も。
自分の未来に、すべて、繋がっている。
貴重な、『誰にも奪われることのない財産』なのです。
【城崎の花火《34》】に続きます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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