こんにちは。
喜満満猫です。
いつも訪れていただき、本当にありがとうございます。
【城崎の花火《35》】から続きます。
長い、長い夜
永遠に続くかのように思えた長い夜。
うとうと…嘔吐、うとうと…嘔吐の繰り返し。
昨夜から絶食して、手術に臨んでいるので、お腹の中は空っぽなのに。
12時間以上も、苦しい苦しい時間が続きました。
でも、リハビリの先生に習った呼吸法をしていると、少しむかむかするぐらいで、おさまるときもありました。
そして、明け方に近くなってくると、徐々に、うとうとする時間が長くなって、
少しずつ体の中の麻酔の影響が、薄くなってきました。
朝7時の、主治医の先生の回診を心待ちにして、
ただただ時間の過ぎるのを待ち続けました。
不自由からのスタート
夜明けが、カーテン越しに伝えてきました。
ああ、夜が終わる…。
うつろな目で、少しずつ明るくなっていく病室の天井をながめていました。
昨日まで動けていたわたしの身体。
こんなにも不自由からのスタートになった。
まだこのときは、手術をしたつらさから、
はたして手術したことは正解だったのか、わからなくなっていました。
開けてわかった緊急事態
回診の時間を待ちかねていたのですが、
主治医の先生はとても早く来てくださいました。
主人には昨日手術後に説明をしていただいたようでしたが、
わたしにも簡単に説明してくれました。
開けてみてわかったことですが、
事故のときに、骨化した部分が神経をずいぶん押していて、
その部分が癒着していたそうです。
事故から約3年近く。
癒着した箇所を慎重にはがしたため、予定より時間がかかった、とおっしゃいました。
『良かったね、手術して。そうじゃなかったら、大変だったよ。』
とにっこりしてくださいました。
『見えない流れ』からのお助け
そうだったんだ…また『見えない流れ』からお助けがあった…。
手術をやめておいたら、大変なことになってたんだ…。
3年以上放置してから手術だったら、
もうはがすこともできなかったかもしれない。
良かった…手術して良かったんだ…。
『…先生、ほんとうにほんとうに…ありがとうございました。』
涙を流しながらお礼を言いました。
痛みからの気絶
先生は、首からの出血の状況を確認して、ベッドの上で座ることを指示しました。
リハビリの先生も同席されていて、診察が終わったらリハビリの先生だけ残られました。
そして、まわりの人の支えを借りて、上半身を起こしたときの爽快さといったらなかった!!
こんなにも動かないということが、つらいとは思わなかったのです。
寝返りひとつうてない、首を動かすこともできない。
背中が固まってくるような感覚。
座ることで、背中の痛みが楽になり、腰に力が入ります。
ですが、今までとは違う感覚がおそいました。
頭を支えている首への重みがずん、ときたのです。
頭がこんなにも重いものだとは、正直考えたこともなかった。
ぐらぐら、ぷるぷるしながら、ベッドの上に座りました。
あまりこのときの記憶は定かではないので、
自分に金具がはめられていて、固定されている感覚は
まったくなかった気がします。
ただ、座ったときに、あまりの激痛に気を失いかけました。
ふうっと一瞬、何がなんだか分からなくなって。
痛みで気が遠くなりました。
心配そうにのぞき込んだ主人の顔が見え、リハビリの先生の力強い腕がわたしの両腕を支えました。
ここから、今から、スタートなんですね。
つらい日々が始まりました。
【城崎の花火《37》】に続きます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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