こんにちは。
喜満満猫です。
いつも訪れていただき、本当にありがとうございます。
【城崎の花火《37》】から続きます。
ありがたくて後光がさした
ベッドの上に座ることができた次の日。
手術の2日後、日曜日のことです。
正確な時間は忘れましたが、手術した部分に刺さっていた、血抜きのドレーン(管)と、導尿のドレーン(管)を外してもらい、少しずつ自分につながれていた管が外れていきました。
点滴だけはまだ、抗生剤が必要なので、外せません。
ほんとうに…苦しいときには、何に対してもありがたいと言う気持ちが湧いてきます。
ひとつひとつ外してくださる、先生や看護師さんがどれだけ神々しく見えたことか!
大仏さまのように、後光がさしていました。
家族のお見舞い漫才
そして、手術当日と翌日は遠慮してもらっていた父と母と息子たちが来てくれました。
病室に入ってくるなり、父なりの励まし方なのか、
『おお、大きい顔して寝とるな(笑)』
…おいっ!(こころの声)
母『お父さん、なんてこと言うの!(ビシッ!)
喜満満猫ちゃん、がんばったね〜、かわいそうに、痛かったね〜(泣)』
こんな夫婦漫才を始められてしまいました。
確かに、手術当日と翌日でなくてよかった(笑)
息子たちは、わたしの坊主頭を見ていないので、一瞬驚いたと思うのですが、そこはそれ、さすがわたしの息子たち。
長男は、
『これで、いろんな面で、良くなって行くんと違う?まあ、今は大変やけど、長い目でみたら、手術してよかったよ。うんたらかんたら…』
と長々と語っていました。
次男は、
『母さん、めっちゃかっこいい頭やん。やったやん。』
安心した2人は、そのあと売店に出かけていきました(笑)
さっぱりしたものです。
妹たち家族も駆けつけてくれた
わたしは三姉妹の長女なので、妹が2人います。
すぐ下の妹家族は、あわてて来てくれました。
『お姉ちゃん、どういうこと〜?!首ってなんの手術?』
難病のことも手術のことも、詳しく言ってなかったので、すごく驚いていました。
交通事故でリハビリに長く通っていることは知っていたのですが、そこまで悪かったとは思ってなかったんですね。
一番下の妹家族は、手術後の苦しみを思い、もう少し楽になったころに来てくれました。
ありがたいです。
よく考えてくれて、大切に思ってくれている。
温かい家族、姉妹だと心から思いました。
心配かけないでおこうと思っても、逆に心配かけてしまいましたね。
周りからの愛情を再確認することもできました。
新たな麻痺が現れた
ひどい苦しみから、少し時間が経って。
今まで感じたことのなかった、
右手の中指、薬指、小指の指先の鈍い麻痺に気づきました。
薄いゴムのカバーがついているかのような感覚。
親指でこすってみても、感覚がないのが気持ち悪くて、動揺しました。
こんな症状、今までなかったのに…どうして…?
手術したのに、逆に麻痺しちゃったの…?
動揺して、主人に、
今までなかった指先の麻痺が現れたことを告げると、
主人は少し困った顔をして、
『もしかすると、癒着した部分をはがしたときに、そうなったのかもな。』
と、言いました。
大きな危険と小さな犠牲
回診のとき主治医の先生に聞いてみましたら、
やはり、癒着した部分を切り離す際に、
多少の損傷はあったのだということを
告げられました。
『骨化して脊髄の神経の束を押している』
このもっと大きな危険から、神経を守る目的の方が大事なのです。
このとき、この鈍い麻痺とこれからずっと付き合って生きていかなきゃならないのだと、知りました。
『このまま…この違和感と生きていくの?』
『これから己書を描くのに!…描きたいのに!』
利き手の右手の指3本が麻痺したことに、
目の前が真っ暗になりました。
【城崎の花火《39》】に続きます。
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