こんにちは。
喜満満猫です。
いつも訪れていただき、本当にありがとうございます。
【城崎の花火⑦】から続きます。
あらためて考えてみた
あらためて考えると、わたしが交通事故に遭ったのは偶然に偶然が重なっています。
《たまたま1年に一度のスケート教室の日だった。》
《隣県に行くために交通量の多い国道を通らなくてはならなかった。》
《たまたまその日は、いつも行くバスではなく、腰痛をかばって自分の車で行った。》
《いつも送迎してくれる主人は、家族の体調が良くなかったため、家にいてくれることになった。》
こういうときは、何かすらっと流れないものであると、肌では感じていたのです。
不思議なもので、腰痛のあるわたしを心配した主人は、行くのはやめた方がいいと言いました。
でも、子どもたちが楽しみに待っていてくれると思うと、なんとかしようと思ってしまったのです。
ボランティアの帰りに事故に遭うなんて……そのときは不運が重なったと思っていました。
『不幸中の幸い』
まったく普通の日常生活を送り、毎日ばたばたと過ごしていた日々。
まったく普通に過ごすことのありがたさ。
これは非日常を経験したものでないとわからないかもしれません。
この時まで、難病になってしまっていることを、まったく知る由もなかったわたし。
性格的に、パワフルに何でも挑戦してきました。
何も知らなければスポーツも、力仕事もどんどんやっていたことでしょう。
偶然の交通事故により、日常なら検査することもない首のCTスキャンを撮ることになり、わかることができました。
おそらく事故のとき、一瞬全身がしびれた感覚があったことから、そのときにずいぶん頸椎の神経を押したんだと思うのです。
ですが、一歩間違えれば、脊椎損傷、胸から下は動かなくなり、車椅子生活ということも、ありえたわけです。
でもそこまでいかず、手足のしびれ、力が入らない、というところで止まってくれた。
ほんの少しの力加減で、生かされた。
本当に感謝しかないと思いました。
正負の法則
人生はいろんなことが起こってきます。
『正負の法則』という言葉を聞いたことがあります。
いいことも悪いことも起こってくるものであるということ。
プラスとマイナスは合わせ持つということを意味しているのだと解釈しています。
何かの能力に秀でた人は、何か他に劣る部分を持っているとか。
ふだん運があまり良くない人は、宝くじに当たりやすいとか。
『地獄に仏』や、『人生あざなえる縄のごとし』などということわざがあるのも、おそらく昔からこういうことをさしているのではないでしょうか。
幸せだからこその引き算
喜満満猫は、本当に恵まれています。
いろんなマイナスが来たけれど、それを上回るプラスにしてもらえることが多かった気がします。
いつも会うわけではなくても、本当に心を預けることができる親友や友だちに恵まれていること。
厳しいけれど、とても優しい家族に恵まれていること。
結果的に多くの資格を取らせていただいたこと。
趣味をさせてもらえること。
趣味の域から、師範まで取らせてもらえたこと。
多くの経験をさせていただける流れ。
多くの幸せを得ているわたしは、なんらかの引き算が来ないと逆にこわいと思うのです。
引き算も、結果的にわたしのためになるものであったことも恵まれていたと思います。
自己肯定感を持つこと
自分が恵まれている、幸せだと思うことは、開運につながると思っています。
難病を持っていて、少しでも重い荷物を持つこともできない、衝撃を与えられないから何かにぶつかることも気をつけなくてはいけない、スポーツもできない、走ることもできない……。
できないことを数えたらきりがありません(笑)
今までずっと普通にできていた多くのことが、できなくなっています。
ですが、これがわたしですし、こうなったわたしだからこそ、わかることが多くあります。
かえって、こうなってからのわたしの方が考え方に深みが出てきたような気がします。
まだまだ発展途上ですが、こんな自分だからこそ、どこまで成長していけるか、面白がっている自分もいます。
『今の自分を認めて受け入れる』
それがとても大事だと思います。
【城崎の花火⑨】に続きます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。