こんにちは。
喜満満猫です。
いつも訪れていただき、本当にありがとうございます。
【城崎の花火《73》】から続きます。
はじめて読む方は、
【城崎の花火①】わたしの首にはファスナーがついている
からどうぞご覧ください。
ヘルプマークって?
ヘルプマーク…テレビの報道番組の中で、
特集が組まれていたのを、
うっすらと覚えていました。
【ヘルプマーク】とは、
障害や疾患などがあることが、
外見からは分からない人が、
支援や配慮を必要としていることを、
周囲に知らせることができるマークです。
カバンにつけたりすることで、
周りに周知することができます。
今までに、マークをつけている方を何人か、
見かけたことがあります。
もらえるひとはどんなひと?
どうやら、支援を必要とするひとなら、
誰でもいただけるようで、
資格としては限定がないそうです。
身体的障害がある方、難病など闘病中の方、
知的障害の方、妊婦の方…などなど。
自治体によっては、
証明するものが必要な場合もあります。
普及を促進したいのだけれど、
まだまだ認知度が低く、利用者も少ない。
けれども、外見からだけでは、
そのひとの抱える病気や障害がわからなくて、
日常生活に困っているひとのためのもの。
まさに今の自分の苦しみに、
役に立ってくれるのではないかと思いました。
ナイスタイミング
わたしは、ちょうど1年に1回の、
指定難病受給者証の更新の手続きのために、
保健所に行かなくてはなりませんでした。
『ちょうどいいや、保健所で聞いてみよう。』
窓口で更新手続きを終え、
ヘルプマークのことを聞いてみると、
あっさりと、
『これですね。どうぞお持ちください。』
といただくことができました。
困難な内容を、シールになっているメモに書いて、
ヘルプマークの裏面に貼るんですって。
シリコンでできた、赤と白のマーク。
お礼を言って、もらって帰りました。
少しほっとしたのを覚えています。
不便と自立との葛藤
こうして無事に、タイミングよく、
ヘルプマークを手にすることができましたが、
私のこころの中に、葛藤が生まれてきました。
思いやり駐車場に停めることや、
ヘルプマークをいただける条件である、
難病を患っているのは間違いない。
このまま普通の生活をするには、
不便が多すぎる。
できれば、そういった行政や民間の補助は、
受けられるものなら受けたい。
だけど…
主人や息子たちの力を借りてなら、
やれることはやればできる。
難病の名のもとに、
甘えすぎてはいけないのではないか。
何もできないわけではない。
だから、やれることは、
普通に、がんばればいいのではないか。
冷たいひとの目と、自分の感情と、
秤(はかり)にかけて、苦しくなりました。
ヘルプマークの葛藤と躊躇
そうして今も、わたしは、
ヘルプマークをつけることができていません。
カバンの中に、入っているだけです。
必要なときには、見せるかもしれません。
カバンにつけようとしたそのころ、
わたしはヘルプマークをつけているひとを、
見かけました。
そのとき、そのひとの周りにいたひとたちの、
刺さるような冷たい目を見てしまいました。
同情と、好奇の入り混じった目。
ひそひそと小さな声で、
『あの子、なんの病気だろうね…?』
という話も聞こえてきました。
……負けたくないっ!!
だけど、いつも周りからそんな目で、
見られることに耐えられない…、
と、そう感じてしまったのです。
『なんや、弱虫やなぁ。
恥ずかしいことじゃないよ。
堂々としてればいいやん。』
わたしのこころの声は、そうも言っています。
いつか、心が強くなったら、
ヘルプマークをカバンにつけようと思います。
それまでは、まだまだがんばっていこうと、
心に決めました。
今できることに感謝をして、
甘えてばかりじゃない生き方を
模索していかなくてはならない。
何に対しても、ありがたい気持ちを、
忘れずにいたいと、そう願っています。
【城崎の花火《75》】に続きます。
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