こんにちは。
喜満満猫です。
いつも訪れていただき、本当にありがとうございます。
【城崎の花火《11》】から続きます。
いよいよ決意のとき
2018年7月の診察日。
先月、初診のとき、先生は『究極の2択』を提案しました。
ずーっと(日本テレビ系列の)テレビだけ見て、
動かず、すべての家事を誰かにしてもらって、
誰かに肩をたたかれることもなく、
少しも蹴つまずくことなく、
残りの人生を生きていくか。
手術するか。
どうする?
というものでした。
わたしがひとり、気持ちがばたばたしているだけで、本当に手術が必要かどうかは、誰が考えてもわかることです。
残りの人生を、じーっとして動かず生きる。
リスクを恐れながら、びくびくして生きる。
わたしにとっては、それはあり得ない生き方。
感情や理性を超えた、選択するまでもない選択肢がそこに横たわっていました。
家族のため、そして自分のために、決意しなくてはいけないのだと、心に言い聞かせました。
神さまに試された
診察順の番号を握りしめ、病院の待ち合いロビーの長椅子で、主人とふたりで待っていました。
今日までに主人と話し合って、手術しなくてはならないことを確認しあいました。
予約時間からずいぶん待って、自分の番号が呼び出され、診察室に入っていきました。
すると、先生は、
『どう?調子。このまま、調子見ながら様子見ていきましょう。』
とおっしゃいました。
えっ?様子見でいいの?
目を見開いて嬉しそうなわたしと、主人の困惑した顔を見て、先生は改めてカルテを確認し、
『ごめんなさい、ちょっともう一度呼びます。1度待ち合いで待ってもらえますか?』
決意からのどんでん返し
待ち合いに戻ったわたし、すごくうれしい気持ちで、
『手術しなくてもいいのかもね?良かった!』と、手放しで喜んでいました。
『いや〜違うと思うぞ?』と主人。
『でもさ、やっぱりちょっとまだ様子見ながらいけるのかも!』
『……ぬか喜びのような気がするぞ』
そんなやりとりをしながら待つこと数分。
またわたしの名を呼ばれて、診察室に入ると、先生は
『ごめんね、手違いだった。他の人のカルテが出ちゃってた。申し訳ない。』
ありえないことですが、となりで患者のデータを出して先生のパソコンの画面に送る看護師さんが、たまたま似た名前の方と前後して送ったようです。
先生はすぐに気づいて、確認してくれたようでした。
『手術する?』
あらためて聞かれると、さっきの天国のような気分から、さらにどん底に落ちたように、どーんと来ました(泣)
『……はい、手術、よろしくお願いします。』
泣きそうな気持ちで、お願いしました。
神さまは、最後にわたしの本音を確認したのでしょう。
舞い上がるような、嬉しい気持ちからのどんでん返しに、あらためて腹をくくれと言われたような気がしました。
【城崎の花火《13》】に続きます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
https://ping.blogmura.com/xmlrpc/7np44qgo3gar/