こんにちは。
喜満満猫です。
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【城崎の花火《38》】から続きます。
受け入れ難い麻痺
今まで感じたことのなかった、右手の指先の麻痺。
正座して足が痺れた後のように、
時間が経ったら、少しずつ治っていって。
ああ、よかった、びりびりしたわ〜なんて。
そんなふうに治ってほしくて、何度も何度も指先をこすりました。
少ない『代償』への感謝
一度傷がついた神経は、再生することはない、と聞いたことがあります。
それこそ、交通事故のときに一気に脊髄損傷していたら…
こんなことではおさまらなかった。
こんな麻痺が首から下の全身に、起こっていたことになります。
生かしていただいた『代償』としたなら、これだけで済んだことに感謝しなくてはいけません。
受け入れ難い気持ちがありながらも、
『見えない流れ』が助けてくれた恩恵に、
感謝しなくてはならないと思い始めていました。
歩行器で歩くリハビリ
夕方、リハビリの先生が、病室にひょこっとやってみえました。
『歩いてみる?』
『あ、はいっ!』
トイレに行くために、ベッド周りをよろよろと壁に寄りかかりながら歩いていたのですが、まだ足に力が入りません。
先生は歩行器を持ってきてみえました。
身なりを整えて、歩行器に寄りかかりながら少しずつ進みます。
頭も両手も死ぬほど重い
少しでも首を前かがみにすると、激痛が走ります。
こんなにも頭が重かったのかと、あらためて感じながら、歩き始めました。
両手を下におろしても、激痛が走ります。
歩行器の上に手を乗せて歩きました。
手もこんなに重かったのかと、あらためて気づきました。
いろんなことに気づいているのに、
頭の金属のわくと、肩に直角に刺さった棒で、頭を固定しているということに気づいてません(笑)
廊下を1周歩いてみた
おお〜しっかり歩けてる、と感動しながら病室の外に出ていきました。
本人は歩けて嬉しくて、にこにこしながら歩行器を押します。
点滴は、先生が押して横について歩いてくれました。
姿勢はまっすぐに、少しずつ歩いていきます。
ただ、廊下にいたひとや、通りすがりのひとは、ぎょっとして二度見していました。
頭に刺さった金具が、痛々しかったのでしょう。
廊下を1周して、病室に戻ってきました。
『こうやって、少しずつ歩いていいよ。ただし、転ぶといけないから誰かがいるときにね。』
『歩く』ことの危険性
『歩く』…ただそれだけのことが、こんなにも危なくて、力が必要なことだと、あらためて感じました。
転ぶかもしれない危険性があるからこそ。
リハビリの先生は、あらゆる状況を想定しながら行動されます。
もしも転んだら、患部だけでなく、他のところも衝撃を受けて、大変なことになります。
転んでもすぐ支えられるような、ベストポジションをとってみえるのですね。
ガタイのいい先生で、ふらついても支えてくれそうで、心強かったです。
涙した母
あとで聞いたことですが、
このとき廊下のラウンジの椅子に座っていた母は、
そのときのわたしの姿を見て、涙が出たそうです。
坊主頭にぐっさりと刺さっている金具。
下向きで手術を受けた加減なのか、まだ腫れている首と顔。
しゃんとしっかりしていたわたしの面影もない、
うつろな目で、よろよろと歩く姿に、
かける声も出なかったと、教えてくれました。
【城崎の花火《40》】に続きます。
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