喜満満猫の癒される暮らし

難病とともに、今できることに感謝してパワフルに生きる己書家【喜満満猫】のブログ

【城崎の花火⑨】己書の師範になるという激流

こんにちは。

喜満満猫です。

いつも訪れていただき、本当にありがとうございます。

【城崎の花火⑧】から続きます。

 

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 10数年ぶりのご縁が再燃

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先日開かれた高校の同窓会で、久しぶりに会った4人の仲間。

話が盛り上がって、ほぼ徹夜の近況報告会をしました。

そのとき、ふとした話の流れで己書を始めたことを話したわたし。

1人の友だちが、ずっとそんな何かをやりたかった、ぜひやってみたいと目を輝かせました。

彼女に頼まれて、己書の体験に連れて行くことになりました。

彼女の名前を輪ちゃん(仮名)とします。

わたしにとって癒される大事な人

わたしを最初に己書に連れていってくれた親友は、ぶち子といいます。

小さい頃から、ずっと仲良くしてもらっています。

親同士が仲が良く、ものごころついた頃には、もうすでにいつも一緒にいました。

わたしにとって、いてくれるだけで癒される大事な人です。

わたしのターニングポイント、人生の大切な岐路には、必ず彼女のお力があります。

この己書の体験に行こうと連れていってくれたのも、またぶち子でした。

いつも暗闇から引っ張り上げてくれるのです。

今回の輪ちゃんを連れていくときも、一緒に車に乗せていってくれました。

偶然にも、輪ちゃんとぶち子は、小さいころ同じ学校にいて、顔なじみだったのでした。

3人での己書幸座

輪ちゃんを師範に紹介して、和気あいあいと始まった己書幸座。

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ぶち子とわたしは、何度も幸座を重ねているので、絵と字を組み合わせたお題を書き始めました。

輪ちゃんは最初、興味津々な様子で、わたしたちや、周りの生徒さんのさまざまなお題を眺めていました。

初回は、恒例の筆の腹で書くぐるぐるや、あいうえおのお題などです。

『うわぁ〜失敗した〜!』などと、にぎやかに叫びつつ、本当に楽しそうに進めていました。

わたしたちは微笑ましく楽しく笑いながら、輪ちゃんの初回の己書幸座は終わったのでした。

輪ちゃんの熱意

輪ちゃんは、この日、本当に今まで求め続けたものを見つけたのです。

まさか、ここまで喜んでもらえるとはまったく思っていませんでした。

帰りの車の中、輪ちゃんは興奮した様子で、

『これをやりたかったの!絵手紙とか、書道とか、やってみたけどなんか違うと思ってた。すごくうれしい。わたし、続けるわ!』

と喜んでいました。

輪ちゃんの『学びたい熱』はすごいもので、わたしたち2人は圧倒されていました。

『次、いつ行く?』

これからは、3人で己書に参加することになりました。

今までのぶち子とわたしは、のんびりゆっくりと、月に1回の幸座を受けていたのですが、それがそうはいかなくなりました。

実は、わたしたちが教えていただいている師範は、場所と曜日が違う幸座を何コマか持ってみえました。

輪ちゃんは、師範に他の幸座はどこで何時にやっているのか、一覧表が欲しいとお願いしていました。

師範は、輪ちゃんの熱意に驚きながらも、嬉しそうな様子で、チラシで説明していらっしゃいました。

振り返った輪ちゃんは

『次、いつ行く?』と、にんまり。

……来週行くことになりました(笑)

月に1回から月に4回へ

輪ちゃんの熱意は冷めることがなく、どんどんお題をこなしていきました。

わたしたちも一緒に行く流れになっていて、あれよあれよという間に回数を重ねていきました。

師範が『3人とも、すごいね。このあとどうする?師範目指してみる?』と、提案されました。

師範!あまりにも想像してなかった流れでした。

ぶち子とわたしは、顔を見合わせました。

己書の師範になるという激流

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いやいやいや、そこまでは…と答えようとしたら、輪ちゃん、すかさず

『やりたいです。昼間、時間が空いてるので、地域のお年寄りとかの憩いの場所になれたら。』

と即答しました。

たしかに、ここまで来たら、上を目指していいのかもしれない。

少し考えていると、ぶち子が話し始めました。

ぶち子の叔父さんは、書道の先生になりたかったのですが、年若くしてご病気で亡くなられたそうです。

『わたし、叔父さんの遺志を継いで、やってみようかな……。』

【わたしの生きた証】

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まだ難病の手術をするかどうか、決めていないわたし。

このころには、わたしにとっての己書は、【自分の生きた証として残すもの】という気持ちになっていました。

この震える手、力のない指から、生まれてくる作品が、まるで自分の分身のように思えました。

このまま自分がどうなるか。

先が見えない苦しみのなか、できることは、わたしのこころを残すこと。

教えるための師範ではなく、【自分であるための証】として、師範を目指す決心をしたのです。

こうして、己書の師範になるという激流に、3人はのまれていくことになります。

嵐のような日々の幕開けでした。

【城崎の花火⑩】に続きます。

 

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最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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