こんにちは。
喜満満猫です。
いつも訪れていただき、本当にありがとうございます。
【城崎の花火④】から続きます。
己書を続けようと決めた
己書の体験をして、親友とわたしは、何だか理由はわからないけど、すごく楽しかったのでした。
2人とも、今後も続けていこうと決めました。
ただ、1ヶ月に1回の決まった日程ですので、2人の予定が合えば無理なく参加していこうという感じでした。
元来のんびりして気の合う私たち、
『今月は無理だね〜』
『来月にしようか〜』
といった風で、楽しく無理なく参加していました。
一方リハビリと通院は続く
あの交通事故から2年以上過ぎても、経過観察しながらのリハビリは続きます。
任意保険での補償は半年で打ち切られたため、自費での受診は続きました。
検査のたびに、主治医の先生は眉間にシワを寄せ、
『神経の通り道がずいぶんせまい…身体、だいぶつらいだろうなあ。』
と言って手術をするかどうかと聞いてくるようになりました。
手術するかしないかの選択肢
信頼できる、高名な先生でしたので、手術に踏み切ることも選択肢にできました。
ですが、その病院では手術例も少なくて、入院して手術して、となると高校生と中学生の息子たちのこともあり、なかなか踏み切れませんでした。
一家の主婦が長く家を空けるということは、家族にたいへん不自由な思いをさせてしまいます。
選択で避けられるなら、避けたいと思うのは仕方なかったかもしれません。
なぜかセカンドオピニオンが欲しくなった
わたしは自分の『手術しない選択肢』に保証がほしくなりました。
県外の脊椎専門医の先生に一度見てもらい、それでいいと言ってもらいたかったのです。
偶然その当時、高校生の息子がバスケットボール部で怪我をして、県外のスポーツに強い整形外科にリハビリに通っていました。
その病院は、個人病院でありながら有名で、大学病院の先生方がそこでも日替わりで診察しているのでした。
またまた偶然、息子のリハビリの予約日が、脊椎専門医の先生が月に1度、診察する日でした。
息子のリハビリを待つ間に、診察してもらいました。
先生は、気さくににこにこしながら、
『手術はした方がいい。整った設備が必要だから、僕がいる病院においで。今じゃなくていいよ。10年以内ならいつでもOK。』
とおっしゃいました。
何だか10年以内ってところに安心を覚えました。
実績からにじみ出るものなのか、すごく頼れる気がしました。
大きな転機〜運命の診察日
2018年5月。
いつものように、いつもの病院に、診察の予約日に行きました。
再来受付の機械に診察券を通したとき、出てきた医師名に驚きました。
『えっ?いつもの先生じゃない。どういうこと?間違い?』
不安を抱えたまま、整形外科の受付に診察票を出しましたら、受付の方が申し訳なさそうにおっしゃいました。
今日から主治医が変わるということ。
今までお世話になった先生は院長になられたため、一部の手が離せない患者さん以外は、診察しなくなったということ。
引き継ぎがばたばたしていて、連絡がいっていなかったということ。
でも次にお世話になる先生も、お若いけどいい先生だから心配しないでほしいということ。
こんなことを、すらすらっとおっしゃいました。
多くの患者さんに説明し続けていらっしゃるのでしょう。
絶望と憤り
難病を受け入れ、少しでも日常生活をこなせるように、2年半もリハビリにもがんばって通い、頼りにしてきた主治医の先生とのご縁が途絶えた……。
わたしに絶望感が襲いました。
次の先生が、どんなにいい先生であっても、一瞬突き放されたあとでは受け入れ難いことでした。
診察室に入ると、とてもお若い先生が座っておられました。
引き継ぎもあまりされてなかったのか、長くパソコンに向かったまま、わたしの診察履歴に目を通しておられました。
ひとこと目に、『手術しますか?』とおっしゃいました。
わたしは目を見開き、『いえ、今のところはまだ…。』
と答えると、『でも、したほうがいいですよ』
と言われました。
その言葉で決心しました。転院しようと。
あの、脊椎専門医の先生のところに行こうと。
遠いし不便になるけど、安心感を抱けるあの先生に診てもらいたいと心から思いました。
『見えない流れ』は、こうしてわたしを動かせてくれたのです。
【城崎の花火⑥】に続きます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。