こんにちは。
喜満満猫です。
いつも訪れていただき、本当にありがとうございます。
【城崎の花火《55》】から続きます。
外側から幸座を見る
みんなが己書を描いている姿を、
外側から見ることは、後で考えると、
とてもいい経験になったことがわかります。
師範の先生は、1度に何人も教えてみえたので、
どういう風に幸座を展開させて、
みんなを癒したり、楽しませたりするのか。
外側から見ることなど、想定してなかったので、
自分が当事者ではない冷静な見方をできたのは、
大きな収穫でした。
己書の実力
幸座に、己書に、みんながどんな表情で、
どういう風に取り組んでいるのか。
こう見ていると、
己書って、ほんとうにすごいなぁと思いました。
小学校の習い事ではない、大人の習い事。
女のひとばかりで、だいたい主婦。
おそらく子どもが、学校に行っていて、
ある程度手が離れている。
そういう共通点を持つひとたちが集い、
癒やされて、書を楽しむ。
日常の、せかせかした時間に追われた自分を、
自分の手で癒やして、リフレッシュしたら、
また家族に穏やかに向き合える。
こういう意義があったと、あらためて感じたとき、
己書の果たす役割って大きいな…と思いました。
癒やしの無限ループ
わたしのような、大病を患ったひと、
精神的に病んだことのあるひと、
なにか自分の存在意義に疑問を持ったひと。
そんなひとたちの、自分へのこころのリハビリ。
描きながら自分を癒やして、
自分の描きあげた書に、
また癒やされる相乗効果。
描き上げた書は、玄関などに飾り、
それを見た家族や、来客が、
さらに癒やされる。
癒やしの無限ループ(笑)
そうして自分の免疫力を上げていく。
そうして病気に打ち勝った方々が、
己書の師範には多くいらっしゃいます。
こうなるべくしてこうなった
そう考えると、
ほんとうに人生に無駄なことは何ひとつないと、
気づかされます。
ここまで、師範まで、もう少しのところまで、
やってこれた。
ぶち子、輪ちゃん、師範の先生、家族…。
ひとがわたしを、この場所まで導いてくれた。
自分としては、その時々にした決断は、
ある程度考えて、選択してやってきたのだけれど、
後で気づく深い深い意義。
【こうなるべくして、こうなった】
そう深く思う喜満満猫でした。
【城崎の花火《57》】に続きます。
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