こんにちは。
喜満満猫です。
いつも訪れていただき、本当にありがとうございます。
【城崎の花火《48》】から続きます。
わたしにとっての己書の意義とはなんだろう。
『己書の師範になる』
その意義をあらためて考えてみました。
わたしは、今まで、
何も考えずまっすぐに師範を目指してきました。
己書と出逢えたのは、親友ぶち子のおかげ。
事故で、手に力が入らなくて、
そんなわたしを心配してくれて、
己書の体験に誘ってくれました。
自分の熱意、というよりは、
周りのひとがいいねって喜んでくれる、
周りのひとがいいねって勧めてくれる、
そういったモチベーションで目指してきたような気がします。
輪ちゃんの燃えさかる熱意に流された部分もあったかもしれません(笑)
入院までに、必死で昇級試験に取り組んで、
今やっと2級までこぎつけました。
今、この不自由な体を抱え、
書くこともままならないわたしにとって、
己書とはどういうものなのか。
己書の師範になる意味は。
今、やっとわかったのです。
この入院生活、リハビリで、
お世話になった先生方や、
毎日毎日、励ましてくださる看護師さんたちに、
お礼の気持ちを表したい、
こころからの感謝を伝えたい、と思ったときに、
わたしの手のなかにあったのは、
己書というコミュニケーションの方法でした。
わたしは、今初めて、
こころからほんとうに
『己書を学んでいてよかった!』
と思ったのです。
ほとんどの己書の師範の先生方は、
多くの生徒さんを持ち、
教えることに喜びを感じる、
そして、己書の裾野(すその)を広げる。
そういった気持ちで取り組んでいらっしゃるのだと思います。
わたしは、この感謝に癒されたこころを、
己書という表現方法によって、
自分の外に出すことができる。
自分の癒やされたこころが、
この自分の描いた己書の作品を通じて、
見てくださった方々のこころに、
響いて伝わってほしい。
毎日毎日、日常の忙しさに埋もれ、
思い通りにならない苛立ちを抱え、
こころが刺々しくなり、
苦しんでいる方々が多くいらっしゃるこの世の中。
わたしの描く己書で、癒されてほしい。
いまのあなたは、もうすでに幸せなのです、と。
もうすでに満たされているのです、と。
伝えたい、伝わってほしい。
こころを込めて、描きますから。
わたしの己書が、少しでも、
多くのひとのこころを癒しますように。
【城崎の花火《50》】に続きます。
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